他人の人生に興味がない
実家には3000冊を超える本がある。父が読書家だった。2部屋の壁面を上から下まで埋め尽くす本棚に収まりきれず、父の広いベッドの枕元や端や足元には未読の本が積まれていた。幼い頃昼寝をするべく父のベッドにダイブすると(子供たちの布団は昼間は押入れに仕舞われていたので)積まれた本が跳ねて山が崩れ、その度に私は新しい本に出会った。蒼穹の昴とかノルウェイの森とか竜馬がゆくとか。昼寝をするつもりが本に夢中になって休日が潰れたこともあった。
大学入学時、「英米文学科に入る」と言ったら「じゃあこの辺は読んでおかないとな」と、本棚から処方箋のように本を取り出して私に寄越してきた時はワクワクした。いい家に生まれたな、と思った。(結局1年で英文科を辞めて別の大学に入り直したので、さほど役には立たなかったのだが。)
父への旅行土産やプレゼント選びは簡単だった。文庫カバーか栞を買っていけばまずハズレはない。まあ今はカメラも趣味なのでカメラグッズを買っていくこともある。
変わったのは数年前。なんとなく本が増えていない気がした。本棚は埃っぽくなっていた。
今年の誕生日プレゼントを選ぶ段になって、父に「最近本読む?」と聞いてみた。
「読まなくなったなあ」と父は苦笑いをした。
「他人の人生に興味がなくなったんだ。この歳になると、どうもね」
読書をしない父。他人の人生が描かれた物語に興味を持てない父。想像もつかなかった。ちょっぴりショックだった。
まあそれはいいのだ。外野がやいやい言うことじゃない。それ以上に、その言葉を聞いて「小説は他人の人生が描かれたもの」ということに思い至り、なるほど!となった。
私も以前ほどには読書をしなくなって、代わりに週3〜5で誰かと飲みに行って話をする。それで結構「他人の人生を知りたい欲」が満たされてるから、小説を月2〜3冊ペースの読書で十分なのかな、と気付いた。てっきり単純に時間を何に使うかってことだけと思ってたんだけど、心理的な作用も大きいのかもしれない。読書量と人と話す量って反比例しない?孤独な時が一番本を読んでた。
飲み会で話すこと。友人の今後の将来。先輩の子供時代の話。花屋で花束を買う人の周りに今日生まれるドラマ。街頭で世界平和を訴える人のこれまでの生き方。宗教に魅入られた人の価値観の変遷。
今のところ他人の人生への興味は尽きなくて、私は尽きる前に自分の人生終えたいなって思った。
以上長々と近頃酒飲んでばかりなことの言い訳でした。おわり。